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2006年8月21日 (月)

考えること

ああでもない、こうでもない、と試行錯誤できる子は、

「ああ」とか「こう」ということを思いつけるから、試行錯誤できるわけで・・・

考えることができない子は、

「ああ」も「こう」もない。

だから、

「ああ」とか「こう」がどうやったら、思いつくようになるのか、というのがポイントになるわけです。

で、

「ああ」とか「こう」は、無いものは無いのだから、教えてあげないと、

という考え方があります。

けど、周りを見ていると、どうも違うような気がしています。

「ああ」と「こう」を教えても、

「ああ」と「こう」を試すときに思いつかないタイプが目に付くのです。

で、いつまでたっても、「ああ」と「こう」を教え続けないといけないことになってるタイプです。

これは、教えてあげないと、無いものは得られないという前提がおかしいんじゃないのでは?と思うのです。

「考えること」をしなくなったとき、人は滅んでしまうと思うのです。

生き残ろうとする力が、「考えること」をさせていると思うのです。

教えてもらえるという、助けがある状態では、生き残ろうという力は、必要ないのです。

だから、「考えること」をしなくてもいいことになると思うのです。

じゃあ、反対に、極限まで、追い詰めることを繰り返せばいいかというと、

耐えられた子はすごい力を得られるけど、途中で、息絶えてしまう子がものすごいたくさんでてしまうと思います。

それでは、人は滅んでしまう。

教えすぎず、教えなさすぎない。

このコントロールが、大人の役目だと思うのです。

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