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2006年9月19日 (火)

低学年の算数

が非常に重要なのではないか。

けど、深く学習することなく過ぎていってしまっているのではないか。

掛け算。

かける数とかけられる数が反対になっても、計算結果は同じになるから、

気にしない先生ならそのまま通過してしまう。

割り算。

最初は整数の範囲だけだから、

大きい数÷小さい数

とすれば、考えなくても、正解になってしまう。

で、そのまま進級していって、

単位量あたりでつまづくってパターン。

で、わからない状態を引きずって、小学校卒業。

中学の文字式に入って、ますます、数の関係がわからないと、

立式できないことになっていく。

どんどんできなくなっていく。

そんなパターンな気がしています。

根っこは、低学年の算数。

ここをしっかり押さえておけば、なんてことないのに、

「できる」に目を奪われて、「わかる」をないがしろにしすぎていると思うのです。

「できる」→「わかる」派の理論なら、単位量あたりの単元は、簡単なはずなのです。

けど、実際は、躓く子が多数出る単元。

やっぱり、「できる」から「わかる」へ移行できる子は、少数だと考えるのが妥当だと思います。

というわけで、低学年の先生方に、奮起してほしいと思います。

「できる」にとらわれて、計算練習ばかりやってたら、終わりだと思う。

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コメント

乗算の可換性を理解している子供も、掛け順は対象としている問題の状況に縛られなければダメですか…?

芋さん、カキコありがとうございます。
かける数、かけられる数を入れ替えたり、素因数分解して、計算の工夫をすることは、とても大切なことだと思います。
ただ、立式するときは、その2数の関係を表しているのだから、正確に、かける数、かけられる数を書くようにしてほしいと願ってます。

ご無沙汰しています。
トラバありがとうございました♪
最近は内容のある記事を全然UPできていなかったので、
覗いてくださる方も減る一方…。(汗)
なのに、ありがとうございます!

けど、本当に本当に低学年の時期ってすごく大事だなと
思いますね。

計算はできるんですけど・・・
というお家の方の言葉は聞き飽きました・・・
ってくらいまん延してるんですよね。
いい加減気付いてほしいと思います。

http://daiba-suuri.at.webry.info/
http://daiba-suuri.at.webry.info/200905/article_1.html

初めまして。突然失礼します。小学校算数の「かけ算の順序」について、色々調べています。

上記のブログにも書きましたが、「かける数・かけられる数」は、明瞭に区別できないと思います。

4人に3個ずつ蜜柑を配る。

3が4つ という解釈だけが正しくて、4が3つは間違いなのか?

4人に1個ずつ配る。2個目、3個目と配れば、4が3つ。

「1つ当たり」と「いくつ分」は視点の違いでしかない。

■■■■
■■■■
■■■■

かけ算をこのような抽象的イメージで捉えている子には、「かける数・かけられる数」の区別は全くナンセンスだと思います。

積分定数さんコメントありがとうございます。
「かけ算をこのような抽象的イメージで捉えている子には」
捉えられている子には、確かに必要ないことかもしれません。
記事での取り扱いは、機械的に、出てきた数字のみしか見ることができなくなる恐れがあることです。
なので、掛け算を理解しているかどうかをチェックするフィルターとしてこの考え方をルール化することはアリだと思います。
もちろん、一人ひとりに確認を取っていけば一番確実ですが、時間や人的に難しいと思います。

回答ありがとうございます。

http://daiba-suuri.at.webry.info/200906/article_1.html
に書きましたが、ここで示されたリンク先を見るとわかりますが、

 「かけ算の順序」が極めて奇妙な形で、教えられている現状があります。

 私も、「考える・わかる」を大切にしたいと思います。また、そのような主旨から「かけ算の順序を正しく」と指導している教員や塾の講師もいるかと思います。

 しかし、「とにかく順序さえ正しければいい」とか、甚だしきは、長方形の面積を横×縦にするとすると誤答にする例まであるようです。

 こうなってくると、「考える・わかる」とは逆にとにかく言われたとおりに答えを出すとなりかねません。

 かけ算を初めて導入した直後はともかくとして、順序を交換しても値が変わらないことが生徒にとって自明となった後も、小学校6年あたりまで順序にこだわる指導がなされると言うのを聞くと、

「何かがおかしい」と思えてきます。

「4人に3個ずつ蜜柑を配る」

これを、理解した上で、4×3とする生徒も、3×4とする生徒もいるかと思います。

理解していない生徒でも、4×3と、3×4両方がありうると思います。

 かけ算の順序を理解しているかどうかの判断材料とすることには無理があります。

 いちいち生徒に確認できないということであれば、3×4も、4×3も正解とすべきだと思います。

 かけ算は、その導入段階では、前の数字と後の数字が非対称となりますが、本質的に可換な二項演算である以上、一方のみを正解とする根拠はないと考えます。

 4×3 と 3×4 の違いを区別するというのは、

3+4 と 4+3 

÷2 と ×1/2

1/2 と 3/6

などを区別するのと等しいと思います。
もちろんこれらを区別する必要はないし、

抽象化した立場からは、「同じ」であり、むしろ「同じ」と見なすようになれなくてはいけないと思います。

以上、長々と失礼しました。

積分定数さん、コメントありがとうございます。

かけ算の「順序を」理解しているかどうかの

順序の理解を確認するためではなくて、掛け算を理解しているかを確認するためのルールとしての利用法ですね。

1つの袋に3個みかんが入ってます。4袋あります。みかんは全部で何個ありますか?

袋が4袋あります。それぞれの袋には4個ずつみかんが入ってます。みかんは全部で何個ありますか?

このとき、まとまり(1あたりの量)を先に書くというルールを適用すれば、理解している子は、すべて、その順番にかけますが、数字しか見ていない子は、一貫性にかける状況になるでしょう。
適当に2つの数字を書いている場合とそうでない場合は、問題数を増やしたときの通過率で判断できると考えています。

そこで、1つフィルターを通せば、通過しなかった子に絞って聞いていくことができます。

理解しているが、可換なのでそう書いたとか、このように考えたので、こちらの数字が1あたりの量になると考えたとかの返事を聞けば、理解しているなと安心できますし、何となくとか、答えたら、まだ理解がされてないなと次の手を考えるとかできます。

割り算を習ったあとに、
昨日のクローズアップ現代で出てきた
赤いテープは210センチです。
赤いテープは白いテープの6倍の長さです。
白いテープは何センチでしょう?
の問題に、
210×6
としてしまったのを見てから、あれ?割り算も掛け算の意味もわかってないじゃんとなってしまうと、どんどん後手後手になってしまうと思うのです。

実際に、3年生以降の子(自分の見てきた範囲でしかないですが)で、1あたりの量を先に書くというルールでかける子のほとんどは算数を苦にしてないですし、順番がまちまちな子は、苦手な子が多いです。

1あたりの量を理解することができるだけの能力があれば、そちらを先に書くようにするというルールを追加しても十分対応できるでしょう。

「抽象化した立場からは」
2年生では、まだ無理だと思うので、こういう手法を使うメリットがあると思ってます。

  >SZKさん

 丁寧な回答、ありがとうございます。私自身は小学生にかけ算を教える経験はないので、順序を指導することが、理解させるという観点からみて、有効だということをまで否定することは出来ません。

 教える側が、「意味をきちんと理解することだ大切」というその原則に沿って指導するのであれば、問題ないと思うのです。

>理解しているが、可換なのでそう書いたとか、このように考えたので、こちらの数字が1あたりの量になると考えたとかの返事を聞けば、理解しているなと安心できますし、何となくとか、答えたら、まだ理解がされてないなと次の手を考えるとかできます。

こういうことであれば全く問題ないと思います。私も、平方根を教えた直後に

√2√3=√6 と計算する生徒がいたら理由を聞きます。テキトーにやった可能性はありますから。でも、その子が自分で公式に気づいた可能性もあるので、聞かなくてはわかりません。

 私が懸念するのは、特に小学校の算数指導の現場が、「考え方なんかどうでもよくて、とにかく順序」となってしまっていることです。積が交換可能であることを習い、九九もやった後も、小学校高学年になるまでかけ算の順序の指導がなされるとも聞きました。

「文章題では、左の数の単位と答えの単位の数が一致する」などという記述もネット上で見つけました。

もちろんこんな規則はありません。
(1つ当たり)×(いくつ分)=(全体)からの類推でしかありません。
電力=電圧×電流 など反例はいくらでもあります。


ではなぜこのようなことが指導されるかと言えば、文章題で、求める値の単位と同じ単位のものが(1つ分)となっているケースが多いので、それを探して左側に書けば、順序を間違えないということのようです。

 そうすると、「考え方を大切にする」というのはどこかに行ってしまうことになり、本末転倒です。

小学校で、「かけ算の順序」それ自体が異様に肥大化した奇妙な教え方がなされているように思えてなりません。

以下、いずれも小学校教員の書いたものです。

http://www.urban.ne.jp/home/awamura5/tigai23.htm
http://anothertrack.hp.infoseek.co.jp/others/0028.htm
http://anothertrack.hp.infoseek.co.jp/others/0029.htm
http://www.eonet.ne.jp/~mnzbo645/kakekakerare.htm

 私はこのような指導を繰り返された生徒が、「算数・数学とは決められた手順に従って手を動かすこと」と思い込まないかと不安です。

 現に高校生を教えていて、「この問題は、Cで解くの?それともP?組み合わせを求めるのだから、やっぱりC?」などと質問されてがっかりすることがあります。

 「どっちでもいいし、わからなかったら樹形図に戻ればいいんだよ」と言うのですが、理系の生徒含めて、問題ごとの解法パターンや公式を覚え込むのが数学と思い込んでいる生徒が多いのが現状です。

順序の指導が有用な場面はあるかと思います。特にかけ算を習い初めの直後など。しかし、小学校の現場では、教員自身が何のために順序を指導するのかわからないまま、過剰にそこが強調されているような気がしてなりません。

また長々と失礼しました。

積分定数さん、コメントありがとうございます。

参考資料のページで共通しているように思えたのは、
「掛け算を使うことが前提で話が進んでいる」
ということです。
上の文章題の掛け算の順番の指導では、他の演算が混じってしまったときに使えませんね。

あくまでも、順番を気にするのは、
「掛け算という演算を理解するため」
にして欲しいと思います。

  SZKさん。コメントありがとうございました。
 学校現場の一部では本末転倒になっているようですね。何とかならないものかと思ってしまいます。

 では、おつきあいいただきありがとうございました。失礼します。

積分定数さん、コメントありがとうございます。
言葉をはしょった記事に、積分定数さんのコメントのやり取りが入ることで、よりよくなりました。
本当にありがとうございました。
自分は、非常勤という形で小学校へ、入ることができる可能性があるので、そのときは、と思ってます。

SZK先生、こんばんは。ご無沙汰しています。
TBありがとうございます。記事を書いているうちに
更にTBしてくださっていたのですね。

勉強になるコメント、ブログをご紹介くださり、お礼
申し上げます。
でも、今日のブログに書きましたが、やはり私は
掛け算を学習してしばらくは、式の順にこだわって
いきたいと思っています。

ありがとうございました。

TOH先生、コメントありがとうございます。
先生のところも、うちの場合も、順番を気にすることができる子の方が、その後の学習で躓かない子が多いというのが見えているので、このままでいいと思ってます。

もちろん、研究していくべきものであることだと思いますが。

たびたびすみません。2009年6月19日 (金)の「コメントのコピペ」にコメントしようとしたのですが、コメントできないみたいですのでこちらにします。

http://daiba-suuri.at.webry.info/200906/article_1.html
の私のブログのコメントをご覧下さい。

 最初足し算しかやっていない状況で、3×4を、3が4つ分、というイメージで捉えることが大切だとは思います。その段階では、4×3との意味の違いも重要かと思います。

 しかし本質的にはかけ算は交換可能な2項演算で、導入段階での前後の数の非対称性は見かけの物でしかないし、「順序を正しく」という指導も、文章題を正しく理解しているかどうかを見極めるための物ですよね。

 ところが私のブログにコメントする人とか、
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2004/0607/002209.htm?o=0&p=0
とか
http://kurilin.moo.jp/diary2006-11-2.html
11月16日(木) ◆電車オバサンと掛け算オジサン
11月21日(火) ◆続・掛け算オジサン

を読むと、(1つ分)×(いくつ分)の順序の指導が、単なる方便であることが理解できないまま、社会に出てしまう人がいるようです。

 かけ算を、(1つ分)×(いくつ分)という固定したイメージで捉え続けることは数学や物理の学習の妨げになります。

現にこのお三方は

私のブログにコメントした人は「答えにたどり着く過程(考え方)を重視」と言いつつ、
「数学は公式に数字を当てはめて機械的に答えを導き出す作業でした」と言っています。

請求書が間違っていると言った方は、「数学は中学までは好きでしたが、高校時代はほとんどやらなかった」とのことです。

新聞投書に対して「非論理的」と言った方は「理数系が壊滅状態だった」とのこと。

「かけ算の順序」を指導する場合、最後には「種明かし」が必要かと思います。

「今まで、順序をうるさく言っていたけど本当はどっちでもいいのです。(1つ分)×(いくつ分)が正しいけど、逆にしても答えが同じだから、あまり気にしなくてもいい、ということではなくて、順序はどちらでもよくて、どっちの順序の方がより正しいなど言うのは本当はないのです。どっちでもいいのだけど、これまでは事情があって(1つ分)×(いくつ分)としていただけです。今後は気にしないように」

 最後にこういう一言がないと、勘違いしたまま大人になる人がいると思うし、そういう人が教員になって、理解力があってかけ算の順序の指導が必要ない生徒にまで、くどくどうるさく言うのではないか、いう危惧があります。

 またも長々と失礼しました。

積分定数さん、コメントありがとうございます。
(1つ分)×(いくつ分)の使い方は、
掛け算を演算として使用する根拠を明確にするため、です。(自分の場合)
なので、問題よって、前後ろがコロコロ変わる子には、気をつけるようにするわけです。

伝票の話は、
慣習でそうなってるからそう書いているわけで、
(1つ分)×(いくつ分)も、基本ルールでそうしたから、そう書いてるというのと同じことだと思います。
どっちもそう決めたから、そう書くだけで、
郷に入っては郷に従えをどっちもしているだけだと思います。
伝票の方も、個数と金額の前後ろが、会社によって(とか時と場合で)変わると、不都合が起きるわけですし。
どっちでもいいよというよりは、
ここでは、このルールで考えてください、
ということです。

>理解力があってかけ算の順序の
>指導が必要ない生徒にまで、
>くどくどうるさく言うのではないか

学校だと一斉指導なので難しいところもあると思います。
高学年になっての「先生、これ、なに算?」の壁は分厚い。
この壁を壊すために、最初のローカルルール(1つ分)×(いくつ分)の説明が延々と繰り返されていっているんじゃないかと思います。

 高校生に教えていても、順列・組み合わせの問題で「これは、C?P?」と聞かれることがあります。だから、「これ、なに算?」というのも容易に想像できます。

 だから、(1つ分)×(いくつ分)をルールとしておけば、「1mあたり30円のリボン4mの値段」は、4×30としたとき、意味も分からずとにかくそれらしい式を作り上げた可能性があるから、指導の参考にするというのは、わかってきました。

 「順序はどちらでもいい」が原則で、教員が色々試行錯誤して工夫する中で、「(1つ分)×(いくつ分)に統一しよう」ということは、あり得るかもしれません。私も、展開でミスする生徒には、「公式は使わないで、1つ1つ紐を解くように展開して」というローカルルールを設定します。

 教員が自分の判断でやる場合は、それがローカルルールであることも自覚しているでしょうし、ちゃんと理解している子にはそれほど順序をうるさく言う必要はないという判断も出来るかと思います。

 ただ現状は、学校の方針としてそうしている場合があって、そうなってくると教員によっては、「なんだかよくわからないが、順序を正しく書かせるようにしなければならないらしい」となってしまうケースもあるようです。極めつけは長方形の面積を横×縦にするとバツ。

  「考え方が大切だから、積の順序は重要」といいつつ、「みはじ」を教えるという、私から見たら矛盾した授業がなされるわけです。「みはじ」なら、確かに、(速さ)×(時間)となり、(時間)×(速さ)と「間違える」ことはないですが、理解しているかどうかは甚だ怪しいと思います。

 だから私は、順序を重視する指導は、学校単位などで一律にやるのではなく、算数をよく理解した判断力のある教員が主体的にやるべきだと思います。

 一部を聞きかじった教員が「(1つ分)×(いくつ分)を徹底すれば、生徒に考える力が付く」と安易に考えて指導している例があるように思えてなりません。

 ながながと失礼しました。

積分定数さん、コメントありがとうございます。

小学校の場合、教務主任が、算数専科じゃないほうが多いので、こういったことが起きているのではないかと思います。

また、各学級で違うことを教えることを良しとしない雰囲気もあります。

そうなると、一つの型で統一しようということになり、その型の一つとして、
掛け算の順番だったり、みはじだったり、くもわだったり、たて×横だったり
が採用されているんだと思います。

昔は、この横並びがあまりなくて、教師の裁量の部分が多かったのではないかと思ってます。
(ここは想像です。勤めた現場の数もそう多くないので)

同じにするなら、同じにしやすい方法を選んだ方が楽だというのが、理由の一つかなと思います。

 コメントありがとうございます。

 私自身の小学校時代に、最大公約数とかその辺の授業で、教員が説明しながら、「あれ?あ、そうか、ふ~ん、あっ、こうなるんだ!」と途中間違えながらそれを訂正して答えに行き着いて、指導書を読んで確認するという場面を覚えています。

 そのときに、「先生は全部をわかって教えているわけではないんだな」と知りました。この授業は、それほどよくない授業と言うよりも、むしろ図らずもいい授業になっているのではないか、とさえ思うのです。「最初から最適の方法に当てはめなくても、試行錯誤して答えに行きつけばいいんだよ」ということを実演してくれているわけです。

 今だと、こういう行き当たりばったりの授業は批判されるかもしれませんね。

 小学校の教育現場の事は余り知らないのですが、

 水道方式、100マス計算、・・・とさまざまなメソッドに飛びついて、自分の中で十分消化しないまま実践したり、指導書通りの授業を理想と思い、「答えさえ合えばいいのではない。過程が大事です」という言葉を都合よく使って指導書に書いていない解答はバツにする。(3時間で9㎞すすむ。6時間では? を6時間は3時間の2倍だから18㎞、としてバツ、という例があったそうです。公式を使って速さなどを出していなかったかららしいです。)

ということが起こっているような気がしてなりません。杞憂だといいのですが。

 「かけ算の順序なんかどっちでもいいじゃん」という教員もある程度いて、そこで「順序は大切」という教員と常に議論になるような雰囲気でもあれば、「なんだか知らないけど、順序を教えることになっている」という事もなくなるのでしょうが。

 教員同士、あるいは外部の人間とかがいろいろ授業の進め方を巡って、日頃から議論する雰囲気があれば、いいと思うのですが。

 またも長々とすみませんでした。失礼します。

積分定数さん、コメントありがとうございます。

教員同士、あるいは外部の人間とかがいろいろ授業の進め方を巡って、日頃から議論する雰囲気があれば、いいと思うのですが。

これは、多くの教員と、塾講師が思っていることだと思います。
けど、その機会をどう造るといいのか?で、いい考えが出ないまま、ずるずるきている感じです。

学校社会は、上から言われたらやらないといけないところはあるので、無理やりではあるけど、文科省が、やる!といえば、ちょっとは変化が起きるかなと思います。

 今日、教員の方と話をする機会がありました。学校現場は忙しくて、同僚が雑談したり、飲みに行くような状況ではないとのことでした。昔より余裕がなくなっているようです。

 かけ算の順序の指導も、

 「指導書にはこう書いてあるけど、その生徒がかけ算を理解しているかどうかを判断するための物だから、その生徒が十分理解している上で、かけ算は順序に関係ないと思っているならそれほど拘らなくてもいいんだよ」とか、先輩が助言するという感じもなさそうです。

 その辺の余裕のなさが、こういうことの遠因ではないかとも考えました。どうも失礼しました。

積分定数さん、コメントありがとうございます。

社会全体が忙しすぎている感じですね。
横のつながり大切にしたいものです。

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