学習習慣について(2001年ごろの記事)
今回は学習の習慣について考えてみたいと思います。
よく、保護者会で私が言われるのに
「宿題を出してください。勉強の習慣をつけたいので。」
というものがあります。
私は、宿題をほとんど出しません。
というか、出せないといったほうが正しいでしょうか。
子供の学力は、ピンきりなのに出される宿題はほとんど全員共通のもの。
これが納得できないんです。
算数などまだ理解不十分の子は宿題と出しても無駄になりますし、理解してしまった子は宿題にしてもいい問題まで終わらせてしまっている。
なので、全員に合わせた課題を与えるなんて私には無理なので出さないのですが、これが、とっても不評らしいです。
さて、「習慣」というものですが、辞書で調べてみると、
「後天的に身に付けた行動方法で、比較的固定して、少ない努力で反復できるもの」
とあります。
「比較的固定して」…学習内容はどんどん変わっていきます。
「少ない努力で」 …簡単に覚えられるならどんなに楽か。
といわけで、習慣に当てはまるのは、あいさつとか歯磨きとかそういうものであって、学習には当てはまらないと思います。
実際の例として、自分の場合を挙げたいと思います。
私は今年、二学期まで勤め、その後、体調不良から休職することになりましたが、その二学期間で、図書室の本を、少ない子で三十冊、多い子で七十冊読む機会を作ってきました。
で、三学期が終わった後、病状報告のついでに図書室に行って調べたところ、
「全員、三学期一冊も図書室の本は借りていませんでした。」
やれば、習慣化できるのならば、数冊は読んでるはず。
それが、ゼロ冊。
このことからも、習慣化の難しさが分かると思います。
学習意欲というものがない子には、こちらから強制力を持ってやらせるという情けない手段でしか対応できないのでしょうか。
ただ、今回の結果は非常に私自身驚いていると同時に、この学校ならという気持ちがありました。
先生のいうことをあまりにもよく聞きすぎるよいこちゃんだらけの学校だからです。
これについては、また、別の項で書きたいと思います。
私、図書室の本の借り具合で、国語の意欲関心の項目をつけていたので、これだと全員「C」判定。やれやれ。
今回のまとめ
「勉強は習慣化できない。自分の努力なしでは学力向上はない」
です。
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