茶碗の脳味噌とどんぶりの脳味噌(2001年ごろの記事)
今回は総合学習について考えてみたいと思います。
私は、総合学習とは、
「脳味噌の可動範囲を広げるもの」
と考えています。
基礎学力とは違うのかという声が聞こえてきそうですが、私は違うと考えています。
よく言われる基礎学力とは読み書きそろばんのことを指していることが一般的と思います。
しかし、脳味噌の可動範囲とはそれ以前の話です。
コンピュータで例えれば、基礎学力とはソフトのことで、脳味噌の可動範囲とは容量に当たります。
容量も無いのにソフトをインストールしていっても、すぐ容量不足になってしまいます。
それを、防ぐために容量を多くするわけです。
学習に関しても同じことが言えると思います。
基礎基本の徹底とか言われていますが、脳味噌の容量の少ない人はそこまでで、そこから先はないと思います。
読み書きができても国語の苦手な人はいます。
計算できても数学のできない人はたくさんいます。
それはなぜか?
脳の活用がなされていないから、と私は考えるのです。
で、どんなときに脳が活発に活動するのかということが総合学習での肝になってくると思うわけです。
現在、総合学習というと、「環境」「福祉」「国際交流」とかが話題となっていますが、私はこれらで脳の活発化を進めていく気はありません。
その理由は、次からの話でしますが、私が考えている脳の活発化の手は「ゲーム(遊び)」です。
人間、損得勘定が入ってくると、真剣になります。
この真剣さが脳の活性化につながると考えます。
そして、その損得が一番出るのが「ゲーム(遊び)」と思うわけです。
昔と今の子供の生活で一番変わったのが、この「ゲーム(遊び)」だと思います。
この「ゲーム(遊び)」を真剣にすることが、脳の活性化に繋がり、脳の可動範囲を広げることにつながると思います。
では、具体的にどんなゲームがよいのか?
それは、実力通りの結果になるもの、運の要素の極力少ないものです。
例をあげるとすれば、それは「囲碁」「将棋」です。
どちらも、双方の情報がすべて公開されながら、進められていくゲームです。
運の要素はほとんど無く、結果は実力通りになります。
この二つのゲームについてもページを改めて書きたいと思います。
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追記(2011)
完全情報公開型は確かにいいですが、「実力通り」が逆効果になる要素も含んでいることも注視しないといけないと思うようになってきました。
最初は、情報が少ないが、ゲームが進むにつれて、情報が増えていくタイプのゲームの効能も高いと思います。
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今回のまとめ
「総合学習とは脳味噌学習である」
です。
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