福祉学習をやりたくない訳(2001年ごろの記事)
福祉学習を取り上げたくない一番の理由は
「一人前になってない人間がやるボランティアはただの自己満足で終わる」
という認識が自分にあることです。
まずは、自己の確立をすることが大事と考えるわけです。
一人前でない人間からのボランティアは、
「小さな親切大きな御世話」的なものになりがちです。
実際のところ、福祉学習として、いろいろな施設に行ってボランティアの体験学習というのを行う場合がありますが、その多くは施設側に多大な心身的な心配をかけているのが現状だと思います。
けれども、やった人たちは、
「わたしはとてもいいことをした」
「わたしはとてもよい体験をした」
となるわけですが、ボランティアを受ける人たちからすれば、
「あなたたちを気分良くするために障害者やってるわけじゃないんだけど…」
と言いたくなる人も中にはいらっしゃいます。
バリアフリーを目指さないといけない福祉学習ですが、今のボランティアの考えでは、する側される側に分かれてしまい、バリアフリーを実現することはなかなか困難だと思います。
自立する学習を行っていないのに、個人個人という考えは出にくいだろうというわけです。
やるなら、「ちょぼら」規模だと思います。
で、「ちょぼら」規模のことなら、今までの道徳や学級指導でできることで、取り立てて総合学習で福祉学習をする必要はないのではないだろうかというのが私の考えです。
今回のまとめ
「ボランティアは一人前になってから」
です。
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