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2011年2月21日 (月)

交際理解学習をやりたくない訳(2001年ごろの記事)

国際理解学習を取り上げたくない理由は

 「日本のことをほとんど知らないのに外国の学習をするのは難しい」

 「宗教の学習が必要になってくる」

という認識が自分にあることです。

 日本語も満足に扱えないのに英語学習をして国際理解です。

というのにはとても抵抗があります。

言葉を知ることが理解につながるとは思えないからです。

(もちろん、知っていればコミュニケーションが取りやすいとは思いますが)

 人間として向き合って、相手を理解するのが必要なわけなので、国を理解するのではなく、その人を理解する必要があるわけです。

 だったら、わざわざ外国の人でなくても日本人でいいんじゃないかと思うんですが…

 国を理解するのであれば、日本史と世界史を今の高校生以上のレベルで学習していかなければならないことになるでしょう。

 けど、そんなことはできない。

 国際理解といいつつ、言語は英語がほとんどだというところも気になります。

 どうしても、中学校の英語の先取り学習って感じがして仕方がないですね。

 そして、国として理解するためには、その国の歴史が関係してくるわけで、外国には特にそのとき「宗教」というのが、重要な位置を占めてくると思うのです。

 しかし、この「宗教」というものをしっかり教えられる人は大変少ないと思います。

 が、これをこなさない限り、本当の国民性の理解にはつながらないと思います。

 このように、国際理解学習を本当にやろうとすると、その学習内容はとてつもなくレベルの高いものになり、とてもではないが学校でできるような、総合学習の時間だけでできるようなものにはなりません。

 これは、前に挙げた「環境問題」「福祉問題」にも共通していえることです。

 モデルパターンとして大きくこの3つがとりあげられていますが、実際には入口も入口、ほとんど意味を持たない内容のことしかできないのが実情であると考えます。

 こんなことに、時間を取るよりも他になることがあるのではないのかというのが、やりたくない本当の理由です。

 
 今回のまとめ

 「勉強は奥が深くてちょっとやそっとじゃモノにはならない」です。

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